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大阪地方裁判所 平成6年(ヨ)2229号 決定

債権者

甲井花子

右訴訟代理人弁護士

谷智恵子

城塚健之

債務者

長野油機株式会社

右代表者代表取締役

保倉勲

右訴訟代理人弁護士

山本忠雄

主文

一  債権者が債務者の従業員たる地位にあることを仮に定める。

二  債務者は債権者に対し、平成六年五月以降、第一審の本案判決言渡しに至るまで、毎月二五日限り金二四四、三八〇円を仮に支払え。

三  債権者のその余の申立ては却下する。

四  申立費用は債務者の負担とする。

理由

第一本件事案の概要

一  債権者は債務者大阪支店で金銭出納、切手等の購入管理事務を担当しているが、債務者の現金を切手購入名目の着服横領で懲戒解雇されたとして、その無効を主張して本件申立てをしている事案であり、主要な争点は着服横領の有無、適正な解雇手続きの有無である。

二  債権者の主張の概要

債権者は、債務者の従業員であることを仮に定めるとともに、債務者は債権者に対し、平成六年五月以降本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り金二六〇、九九二円の仮払いを求め、その理由として次のとおり主張する。

1  債権者は、昭和五九年一〇月に債務者の大阪支店に雇用され、以後同支店の総務担当事務員として勤務し、一人で金銭出納、切手の購入、郵便物等の送付等の事務等を担当していた。

2  債権者は、平成六年四月二三日に債務者から、切手購入名目で債務者の現金を着服横領したとの事由で懲戒解雇の通知を受けた。

3  しかし債権者は債務者の主張する着服横領行為をしたことはなく、債務者は不正の内容を告げずに弁明を求め、かつ横領を認めるよう強要して始末書を書かせたもので、適正手続きも履践されていないから、懲戒解雇は無効である。

4  債権者の解雇前三ケ月の平均賃金は金二六〇、九九二円であり、右収入を唯一の資金として、七二歳の母と地方公務員の姉と三人暮らしで、姉の収入は約二〇万円あるが、家賃が五万円を要するため、姉の収入のみでは債権者や家族の生活を維持できず、又健康保険の被保険者の資格を喪失したので高額の保険料負担を強いられる。

三  債務者の主張の概要

債務者は債権者の本件仮処分の申立ての却下を求め、本件懲戒解雇について次のとおり主張する。

1  債権者は、切手印紙等の購入に際し切手購入先が自ら領収書を発行せず、債権者が持参した切手の種別と枚数を記載した伝票に領収印を押印していたことを利用して、右伝票の枚数欄を鉛筆で記載して領収印を貰った上、実際に購入した枚数と異なる枚数をボールペンで記載し、それに合わせて金額欄にその金額を記載する方法で、あたかも右伝票記載の切手を購入したごとく仮装して、昭和六三年一〇月一日から平成六年三月末日までの間に債権者が管理する債務者の現金合計金一一、三四四、六八三円を着服横領した。

2  債務者は、大阪支店の通信費の支出が他の事業所に比べ異常に高いことから調査した結果前記事実が判明したので、債権者に対し、平成六年四月一九日に、右調査結果を詳細に説明して弁明を求めたところ、債権者は、前記着服横領の事実を認める発言をし、自筆で始末書を債務者に提出した。

3  債権者は翌二〇日に債務者の大阪支店長に対し、前記金銭の着服横領を認めれば懲戒解雇となり、再就職の妨げになり、損害賠償しなければならないとの理由で、前記発言を取り消す旨申し入れてきた。

4  債務者は、平成六年四月二二日に、前記着服横領の事実に加え債権者のその後の態度から情状酌量の余地がないと認め、債権者を就業規則第八八条一〇号に該当するとして、懲戒解雇とすることに決し、同日付書面で債務(ママ)者にその旨の意思表示をした。

5  債権者の給与中金四〇、〇八〇円は通勤費であり、これを除く平均賃金は金二四四、三八〇円であり、又保全の必要性はない。

第二当裁判所の判断

一  前提たる事実

疎明資料と争いのない事実および審尋の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  債権者は昭和五九年四月に債務者の大阪支店に雇用され、以後同支店の総務担当事務員として勤務してきた者であり、金銭出納や切手、印紙やテレホンカードの購入、郵便物等の送付等の事務等を一人で担当していた。

2  債務者は、債権者を切手購入名目で債務者の現金を着服横領したとの理由で就業規則第八八条一〇号に該当するとして、平成六年四月二二日付書面で懲戒解雇の意思表示をし、右書面は翌日債権者に到達した。

3  債権者の解雇前三ケ月の時間外手当、通勤費手当を除く平均賃金は金二四四、三八〇円であること、債権者は七二歳の母と地方公務員の姉と三人暮らしで、右収入のうち金七万円を家庭に入れ、残余を自己のその余の支出に充当し、姉の収入約二〇万円とともに生活してきた。

4  債権(ママ)者の就業規則第八八条で、「会社または他人の金品を窃取しまたは窃取しようとしたとき」等、一五の事由を懲戒解雇事由と定め、情状によっては他の処分にとどめることもできると定めている。

二  争点に対する判断

1  疎明資料と争いのない事実および審尋の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。

(一) 債権者は切手を申立外大和計量器商会こと中村幸彦(以下単に「大和計量」という。)のみから購入していたが、大和計量は債務者以外に他に相当数の顧客を有しているものの、自らは領収書を発行せず、顧客自ら切手の種別等を記載して持参した伝票用紙等に領収印を押印して領収書発行に代えていたので、債権者も他の顧客と同様に市販の出金伝票に切手等の種別、種類(枚数については争いがある。)を記載し、大和計量の領収印の押捺を受けていたが、金額欄については領収印押捺後に記載していた。

(二) 右伝票の記載によれば、債権者は平成五年一〇月から平成六年三月までに大和計量から合計金二、三八七、五一〇円の切手を購入したことになっているが、その内三〇〇円切手は合計三四八〇枚(金一、〇四四、〇〇〇円)であるのに対し、大和計量が同期間に郵便局からの仕入れたの切手額は合計金二、四七九、七五〇円で、その内三〇〇円切手は合計四〇〇枚(金一二〇、〇〇〇円)であり、債権者の購入額は、大和計量の郵便局からの仕入額の殆どを占めており、特に三〇〇円切手については、仕入枚数で三〇八〇枚も超過している。

(三) 大和計量は、債権者が持参した伝票には、金額欄が記載されず、種別等はボールペンで記載されていたが、枚数欄は鉛筆で記載されていたと記憶し、その旨の陳述している。

(四) 債務者は、大阪支店の昭和六三年一〇月以降平成六年二月分までの通信費用が他の事業所に比べ異常に高いことから、平成六年三月一〇日から切手の使用状況について、発信簿を作成して発送先や内容およびその料金を記載させて管理させることとした結果、同年三月分の切手使用額は金一四七、八六三円(同年三月一〇日から同月末日までの切手使用額は金五一、六四〇円)であった。

(五) 債務者の総務部長は、平成六年四月一九日に債権者に対し、前記三月分の切手使用実績と過去の支出額との差額について事情説明を求め、債権者が答えに窮したところ、同総務部長は着服横領をしたとの趣旨で、「やりましたね。」と発言したのに対し、債権者は、「はい」と発言をし、債権者は同日夕方に債務者の要求に従い始末書を債務者に提出した。

2  以上の事実を前提とすると、債務者が、切手購入名目で債権者がその管理する現金を着服横領したと疑うことは一応首肯できるが、平成六年三月以降の切手使用が低額になったのは、債務者の通信費の管理が徹底され、又債権者に対する不正の疑いによる事情聞き取りや解雇等一連の行動による影響により、節約が図られ、あるいは使用が控えられたものと考えられ、それ以前が相当杜撰な使用状況にあり、会計上相当な金額が節約可能であったことが窺われるのであり、このことから直ちに債務者主張のように、右使用実績額が過去の使用実績額を証明することにはならず、平成六年三月の使用実績額を超える額が横領されたとすることはできない。

3  そもそも過去の切手の使用、特に三〇〇円切手の使用実績について、どの債務者の社員もこれを否定する陳述をしていないことが認められるほか、疎明資料によれば、債務者大阪支店の購入した切手、印紙、テレホンカードは、債権者の机の横に置かれたレターケースの中に種別毎にクリアファイルして保管されているが、その使用について管理する者はなく又その使用状況につき発信簿等による特別の記帳を要せずに、各社員が自由にこれを取り出して使用していたものであり、業務上定型外封筒の使用も多かったほか、通常郵便で足ると思われる書類を速達郵便で送付し、あるいは定形封筒を使用するところを定形外封筒を使用して送付する等不要の切手が貼付される(定形外で速達の場合の郵便料金は三〇〇円を超えることになる。)等三〇〇円切手を含む多数の切手が使用されており、特に平成五年一二月には、顧客へのカレンダーと手帳の送付の際に、三〇〇円切手が三〇〇枚程度が使用されたものであり、又平成六年三月一〇日以降記帳した発信簿によれば、三月一〇日時点で切手全体の在庫は金一〇一、二三四円分があり、三〇〇円切手の在庫も三〇枚で、同日から四月一二日までの間に三〇〇円切手は五〇枚が使用されていること、債務者社員で現在大阪支店長業務をしている三原孝之が、「三〇〇円切手の在庫は多いときは一〇〇枚位あった」とする陳述していること、元債務者社員北本裕行が「切手全体の在庫も常時一〇万円分以上あった」とする陳述をしていること、伝票記載による一ケ月の購入回数と大和計量の記憶が一致していること、等の各事実からすると債務者大阪支店では、毎月大量の三〇〇円切手を含む切手の使用がされており、常時一〇万円分以上の在庫があり、債権者もこの使用に供するために、毎月相当多額の切手(三〇〇円切手も相当量であった)を購入していたものであり、伝票記載の切手に相当する量の購入を直ちに否定できない程度の切手が購入されていたと一応認められるのである。

この点について、大和計量が仕入れた切手以上の数量を債権者が購入できるものでないとして、債権者の横領事実を認定することは、大和計量の仕入れ先が郵便局に限定されているとの資料もなく、又大和計量の日々の売上、過去の在庫等の状況も明確でないことからすると早計な判断であるというべきである。

4  前記1(三)記載のとおり、大和計量は「債権者が伝票の枚数欄は鉛筆で記載していた。」と陳述するが、その陳述内容が伝票全部についていうのか、特定の日の伝票に限定されているのか、鉛筆書き部分が何枚の「枚」部分に及ぶのか、数字のみか、切手種別のどの部分か等不明であるばかりか、伝票には切手の種別、枚数は各種別毎に並列して記載されており、かつ各種別の間にコンマも付されており、その記載の体裁、方法、順序等から、「枚数」欄が鉛筆で記載されたと窺うことはできないこと、大和計量が改ざん可能な一部鉛筆による記載を認識しながら領収印を押捺することは理解しがたいこと、右陳述が反対尋問にさらされていないことのほか、前記3記載のとおりの過去の切手の購入と使用状況からすると、債権者が大和計量に持参した伝票に記載された切手の購入を直ちに否定できないこと、特に伝票の記載上三〇〇円切手の購入は頻繁であって、大和計量も種別は確認のうえ販売したものであるから、債権者が頻繁に三〇〇円切手を購入したことも否定しえないこと、又債権者が横領したとすれば、債務者大阪支店で使用頻度の少ない三〇〇円切手を頻繁にかつ大量に購入したとして伝票上記載することは、伝票や費用集計表が大阪支店長の確認を受けることからすると、容易に発覚のおそれがあるものであるもので稚拙な方法と言わざるをえないこと等を考慮すると前記大和計量の陳述は、利害関係のない者の陳述であるとはいえ、容易に採用できず、右陳述の内容の事実をそのまま認めることはできない。

5  ところで債権者は、債務者の総務部長の追求に対し、いわゆる自供をし、かつ始末書を提出しているが、これは疎明資料によれば、右追求は、債権者が外国旅行を終えたばかりで、睡眠不足の状態で出社後に何らの予告もなく、債権者ら債務者社員が日頃よく利用する小さな喫茶店内で、他の顧客と席を接している状態で、前記平成六年三月分の使用実績と過去の切手購入額を記載した一覧表のみを見せ、その差額の説明のみを求めたものであり、この答えに窮すると、「公表すると家族や周囲の者に迷惑を掛ける、穏便にすませる。再就職に影響ある」等と発言して横領事実の確認を迫ったものであり、債権者は突然の犯罪事実にかかる追求であり、又他の顧客に(ママ)聞いている様子も気になって呆然自失の状態で、総務部長の「やりましたね」との発言に「はい。」と答えたものであり、始末書も支店長に言われるままに記載して債務者に提出したことが一応認められる。

しかし弁明の機会を与えるとは、懲戒解雇の事由に関する事項に関し、疑問点等につき釈明させるものであるから、釈明可能な事項につき、釈明のための必要な資料や疑問の根拠を説明し、必要あるときはその資料を開示し、あるいは釈明のための調査する時間も与えるほか、解雇事由が職務に関する不正、特に犯罪事実にかかるときは、その嫌疑をかけられているというだけで、心理的に動揺し、又解雇のおそれを感じることから、心理的圧迫を与える場所や言動をしない配慮が必要であるのにかかわらず、債権者を追求した債務者の総務部長は、平成六年三月初めに債権者らに過去の切手の使用状況をチェックさせた際、「必ず不正がある」と発言して債権者に対してのみ説明を求めていたことからすると、債権者が不正をしていたものと予断を有していた可能性があること、切手の使用については前記認定のとおり債権者に管理責任も管理の実態もなく、又発信簿等の記載もなく社員が自由に使用していたものであり、債権者がその使用の実績の詳細を説明できないものであること、総務部長は過去の実績について債権者や支店長や前記北本社員らの記憶を纏め作成した報告書類(〈証拠略〉)を見ており、債権者が説明できないことを認識していたこと、これらの状況を考慮せずに債権者の責任であるごとく、しかも他の顧客が聞こえる状態の喫茶店内で犯罪事実にかかる事項について説明を求めていること、この追求による債権者の心理的圧迫は相当のものであったと想像されるが、債務者はこれを考慮せずに追求をしていること等、債務者が債権者に与えた弁明機会の時期、場所、方法等は、前記配慮を欠くものであり不適切なものである。

しかも債権者は横領の構成要件に該当する事実につき述べたことはなく、単に総務部長の問いに対し、「はい。」と答えたにとどまること、債権者は翌日には右自供を覆し以後一貫して横領の事実を否定していること、債務者の命令により過去の実績を調査する際にも、大阪支店の前記三原社員を除く社員(尚本件解雇後三原社員のみが残り、他は解雇、任意退職をしている。)が協力してその記憶に従い「推計額金一五五、一八〇円(三〇〇円切手は三二五枚使用)」を結論とする推計使用量を報告していることからすると、他の社員が債権者の不正を疑った形跡もないこと、債権者が横領していたとすれば、右推計額が過去の支出額と大きく異なることからこれを修正する必要があるのに自ら右報告書類を作成していること等、右自供の内容、経緯、前後の事情からすると、右自供と始末書の提出は、債務者の心理的圧迫に耐えかねたものであって債務(ママ)者の真意を表明したものとは認められず、横領の認定の資料としてはこれを容易に採用できない。

6  以上のとおり、債務者が主張する着服横領の根拠は、平成六年三月の切手使用実績額と過去の使用実績額の相違、大和計量の仕入切手と債権者の購入切手との相違、大和計量の「債権者の持参した伝票「枚数」欄が鉛筆による記載であった」との陳述と債務(ママ)者の自供と始末書提出のみであるが、前記のとおりその他の事実を考慮すると、いまだ債権者が債務者主張の期間にその主張の金額を着服横領したと断定することはできず、他にこれを認めるに足る疎明資料はない。

第三結論

そうすると債務(ママ)者の解雇は理由がなく無効であるというべきであり、債権者は債務者から支給される給与を唯一の収入としてで(ママ)生活を維持しており、そのうち通勤手当相当額を除く金額を限度として、第一審の本案判決言渡しまで仮払いする必要があるここ(ママ)とが認められるから、その余の争点を判断するまでもなく、債権者の申立は右限度で相当であるから担保を立てさせないで主文のとおり決定する。

(裁判官 松山文彦)

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